今回はネパールのお話です♪
実は中国やアメリカをしたたかに利用していることが判明
世界最高峰のエベレストを有する山岳国家ネパールは、中国とインドに挟まれた位置に存在し、両大国の緩衝地として中立の立場を保ってきました。
米中覇権争いが活発となった現在、ネパールの動向が注目されています。中国やインド、そしてアメリカをもうまく利用し、独自の道を進むネパールには、かつて日本をモデルにして近代化を図ろうとし、失敗した過去があるんです。
今回は、ネパールとその周辺国との関係や、小さく貧しい国でありながら植民地支配されなかったこと、世界最強の傭兵のグルカ兵、そして日本との関係などについてお話していきたいと思います。
ネパールについて
ネパールが大国とのバランスをどのようにとっているかを示す良い例としては、2月4日付ダイヤモンドオンラインの記事が参考になりますので、まずはその記事をご紹介いたします。
”東西にヒマラヤ山脈が連なり、北を中国、南をインドに挟まれる山岳国家のネパール。この南アジアの小国が、中国とネパールを鉄道で結ぶという「一帯一路」構想に沸き立ったのは2017年のことだ。
だが、今や「中国熱」も冷めつつある。実はネパールこそが米中超大国が覇権を争う激戦の地だ。コロナ禍もあり、「一帯一路」はすっかり棚上げ状態になっている。もっとも中国がネパールに圧力をかける理由は、「インド牽制」以上に「アメリカ牽制」にあった。
ネパールの政府関係者は「ネパールには米国の影すら伸びている」と語る。
実は2017年5月にネパールと中国が「一帯一路」の覚書に署名した。(当時の首相は統一共産党のプラチャンダ氏)
そしてわずか4カ月後の9月、ネパールと米国はMCC(ミレニアム・チャレンジ・コーポレーション)の5億ドルの無償資金協力の協定書にも署名した(当時の首相はネパール会議派のデウバ氏)。”と報じています。
中国共産党は、チベットを掌に例え、ラダック、ネパール、シッキム、ブータン、アルナチャルプラデシュを5本の指に例えました。地図でこれらの地域を確かめると、ちょうど中国からインドに向けて手が伸びているように見えます。
中国は、インドとの間に広がるこの地域を併合しようという野望を持っており、少しずつ実行に移しているのです。ネパールは中国の言う「5本の指」のちょうど中央部分にに位置しており、とても重要な地域として認識されています。
しかしネパールは、ただ大国に翻弄されているだけではありません。ネパールは、インドへの牽制の意味もあって、中国の一帯一路事業に参加したと言われています。
ネパールが一帯一路の覚書に調印したのは2017年。それには理由があり、インドとの国境が2015年9月から2016年2月まで封鎖され、物流が滞る混乱があったことが直接の原因だと言われています。
ネパールは「インド政府が国境を封鎖した。非人道的で国連憲章に違反している」と非難し、インド政府は「ネパールの国境に住む、親インド民族によるネパール政府への抵抗だ」と主張しました。
インドから食料も燃料も入ってこなくなったネパールに、燃料を大量に緊急支援したのが中国でした。そこでネパールはインドにあてつける為に、中国を利用して一帯一路事業にサインをしたのだそうです。
一帯一路事業では空港や鉄道の整備が計画され、中国人観光客が大量にネパールを訪問し外貨を獲得するという青写真が描かれました。
しかし当のネパールはサインしただけで実際には動かず、2022年現在まで、実質的に棚上げ状態となっています。それどころか、一帯一路に調印したわずか4か月後に、アメリカからの無償資金協力に調印したのです。
インドにあてつけて中国に近寄りそれに危機感を覚えたアメリカからの協力を引き出すなんて、実にうまいバランス外交だと言わざるを得ませんよね。しかしながら、このようなネパールのバランス外交は、今に始まったことではありません。
欧米の植民地支配をうまく逃れてきたのも、イギリスとの絶妙な取引きがあったからだと言われています。第二次世界大戦前、アジア・アフリカ地域で植民地支配されなかった国は日本をはじめ、ほんの数カ国だけであり、ネパールもその中の一つでした。
イギリスがインドを植民地化した際、ネパールとの間に戦争が起きました。イギリスはネパールの兵隊の強さに舌を巻いたそうです。
イギリスが何とか勝利しネパールを保護国としましたが、植民地にはしませんでした。その代わり、ネパールの勇敢な兵士たちをイギリスとインドに差し出すよう要求したそうです。
ネパールはうまく立ち回り、植民地政策に力を貸すことで自らが植民地になるのを防ぎました。ネパールの兵士たちはグルカ兵と呼ばれ、現在でも世界最強の傭兵として知られています。
そしてそのグルカ兵は、フォークランド紛争やカシミール紛争、中印戦争などで、イギリス軍やインド軍の一員として戦いました。現在でも、国連軍や民間軍事会社の兵士として最前線で戦っています。
ここから日本が登場するのですが、第二次世界大戦でグルカ兵が戦った相手は日本兵でした。グルカ兵はイギリスの命令に忠実で、情け容赦なく戦ったのですが、日本兵相手にはやはり苦戦したそうです。
「やせ細った日本兵が必死に戦う姿を尊敬した」「同胞が死んでも涙は出なかったが、日本兵が苦しむ姿には泣けた」「これまでで一番苦労したのは、日本兵相手の戦いだった」というグルカ兵の言葉が記録に残っているそうです。
グルカ兵の強さの秘密は、山岳民族特有の小柄で俊敏な身体と、貧しさにあると言われています。グルカ兵の給与はイギリス兵よりもずっと低く、その格差が問題になっているのですが、それでも故郷の村人よりは何倍も高い報酬を得ており、志願する若者が絶えないのだそうです。
今では、グルカ兵を生み出している貧しい地域に中国資本が入り込み、グルカ兵の訓練学校などを支援していると言われています。中国のために働くグルカ兵が出てこなければいいのですが。
ここまで少し長々とネパールのことをお話してきましたが、このように、大国とバランスを保ち、戦いの最前線に兵士を送り続けているネパールは、日本とはいったいどのような関係にあるのでしょうか。
ネパールと日本の関係が始まったのは、今から123年前となる1899年です。その年、河口慧海(かわぐちえかい)というお坊さんが、日本人として初めてネパールに足を踏み入れました。
河口慧海は、中国から渡ってきた仏典に疑問を感じ、本来の教えは何だったのかを知るためにチベットへ行かれたのですがその途中でネパールに立ち寄ったのだそうです。慧海はネパールの首相に対して道路建設、植林、学校建設などのアドバイスをしたそうです。
そして1902年、ネパールは国の発展のため国外に留学生を送ることを決めたのですが、その行き先に選んだのは日本でした。当時、他のアジアの国々は西欧諸国に学生を送り込んだ中、ネパールだけが日本を選んだのです。
その理由は、明治維新による近代化や明治天皇の存在など、日本には学ぶべきところが多い、という判断でした。
8名のネパール青年が、兵学、鉱物学、工学、窯業、化学、農学などを学びました。彼らが、日本を初めて訪れたネパール人だったそうで帰国後、学生たちは、ネパールの国造りに大きく貢献したということです。
農学を学んだ学生は、藤や菊の種、柿と栗の苗木を日本から持ち帰り、ネパールでの栽培に成功させました。これらは現在のネパールにおいては、ごく普通にみられる花や果物になっているそうです。
当時、ネパールの首相は慧海に「学生たちが日本でちゃんと勉強しているか見て欲しい」と依頼し、慧海はそれを受けて学生全員を訪問し、激励したという話も残っています。
慧海は「とても熱心に勉強しています」とネパール首相に報告しましたが、一人だけ酒に溺れてしまった青年がいたらしく、その一人だけネパールに送り返さらたそうですよ。
このように、日本をモデルに近代化を図ろうと考えていたネパールでしたが、結局うまくいきませんでした。本当に残念なことですが、王族が支配する封建制度が、近代化を阻んだといわれています。
話を最近に戻しますが、新型コロナウィルスの流行で経済が疲弊しているネパールに、日本は今年の1月25日付で、新たに100億円の支援を約束しています。したたかな国ではありますがどうせ頼るなら中国ではなく、日本やアメリカ、そしてインドに頼ってきて欲しいですね。
ネパールの一帯一路参加に関しては、ネパールや日本から多くの声が寄せられています。次にその一部をご紹介いたします。
ネパール人の反応
・ネパールと中国の関係は友好国などではありません。中国とまともに向き合えば、我がネパールは利用され捨てられるだけの運命です。
・中国はネパールが貧困から抜け出すのを手伝ってくれると思います。インドからは搾取されるだけなので。↑あなたはスリランカのこと知ってて言ってるのですか?もうすぐ「エベレストは中国のもの」と言い出すに違いありません。中国よりはインドの方がまだマシです。
・「ネパールへの攻撃はインドへの攻撃と見なす」という、印度との協定があるので大丈夫です。↑印度兵よりネパールのグルカ兵の方が強いので協定は何ら意味がありません。
・インドだってネパール各地を不法占拠し何かと口出ししてきます。そして中国は国境を接する全ての国を侵略しています。ネパールはとんでもない大国に囲まれて本当に不幸です。
・ネパールでは、インドとの国境問題を大きく報道していますよね。まるで中国の侵略から目をそらすかのように。
・皆さん、準備はいいですか?これからが本番です。オリンピックが終わるとすぐに、本当の敵が誰なのかわかるでしょう。
日本人の反応
・ネパールは欧米の植民地にされることなく、うまく生き残ってきた国です。貧しくてか弱く見えますが、おそらく私たちが想像する以上にしたたかな国でしょう。
・MCCの公式サイトをチェックしましたが、米国の援助はきちんと実行されているようですね。問題は「米中覇権争い」ではなく「中国による侵略」です。
・これはネパールに限った話ではありません。日本でも、米中覇権争いが盛んです。明日は我が身かも知れない、という事を日本政府は理解しているのかが心配です。
・自由な西側に入るか、不自由で領土を奪われる東側に入るのか。どちらが良いかは誰でもわかる話ですが、きっと東側には国の指導者を引き付けてやまない「魔力」のようなものがあるのでしょうね。
・新型コロナウイルスのせいで苦しい国が増えていくと、ますます中国の手が世界中に伸びることになりますよ。ウイルスも中国のために働いているように見えますし。
・日本のODAはアピールが足りず、ネパールではあまり知られていません。その点中国はアピール上手なので、ネパールの人たちは中国をありがたく思っています。そこだけは中国を見習うべきですね。
まとめ
ネパールは、2008年までは「ネパール王国」でした。つまり、王様が統治する国だったのです。ネパールの王族は日本の皇室とも友好な関係にあり、親日家としても知られていました。
ビレンドラ国王が皇太子だった1967年、東京大学に留学しその後も度々日本を公式訪問されました。
ビレンドラ国王は国民から人気が高く慕われていたのですが、2001年6月1日、
王宮乱射事件が勃発し、銃の犠牲になりました。
この事件は、国王をはじめ王族10名が王宮で突然殺害されるという不可解なもので、誰が何のために行ったのか、真相は今も謎のままです。国王も王妃も亡くなったというのに国葬は無く、まるで証拠隠滅でもするかのように素早く埋葬されてしまいました。
背景に中国やアメリカの関与があったという噂もあります。
当日ただ一人、王室を離れていた国王の弟、ギャネンドラ皇子が後に国王となりましたが、1990年あたりから活動していたマオイストと呼ばれる毛沢東主義者と内戦状態となり、ついに王政が廃止されてしまいました。
つまり、マオイストがネパールを民主化するという形になったのです。タイの王室も、中国によって転覆を仕掛けられたとの噂があるそうなので、日本も他人事ではありません。
日本にも、なにかと中国の影響力が広がっていますので、ひょっとして皇室に何か起こってしまうのではないかとこういう話を聞くとなにかしら心配です。
というよりも、最近いい話を聞きませんので、すでに手遅れになっていなければいいのですが。